削ることに、どこか後ろめたさがあるとき

簡単な夕飯で済ませた日、
少し楽になるはずだったのに、
なぜか気持ちだけが落ち着かないことがあります。

今日はもうこれでいいと思って、
お惣菜を並べたり、
片づけを明日に回したりした。

本当は、
少しでも休みたかった。
ただ静かに座りたかった。

だから減らしたはずなのに、
なぜか、何かが終わっていないような感じだけが残ることがあります。

子どもに返した言葉が短かった日も、
あとから、その声の感じを思い出したりする。

ちゃんと返事をしなかったわけではない。
何もしていないわけでもない。

それでも、
もう少し向き合えたのではないか、
という感じだけが、
あとに残ることがあります。

気になるのは、
終わっていない家事だけではないのかもしれません。

手をかけきれなかった感じや、
途中で薄くしてしまった感じが、
心のどこかに残っていることがあります。

減らしたのは作業のはずなのに、
引っかかっているのは、
気持ちのほうだったりする。

削ることが、
ただ量を減らすことでは済まない日があります。

減らしたあとに残るもの

少しゆるめただけなのに、
大事にしていたものまで、
一緒に薄くなってしまったように感じることもある。

だから、
減らしたのに軽くならない。

休むために手を止めたはずなのに、
気持ちだけが止まりきらずに残っていることがあります。

それは、
うまく割り切れないからではなくて、
軽く扱いたくないものがあるからなのかもしれません。

何を後回しにした日に、
苦しさが残るのか。

どこを省いた日に、
あとから気持ちが引っかかるのか。

その小さなざわつきの中に、
自分が本当は大事にしたいものが、
静かに残っていることがあります。

だから、
今すぐ上手に削れなくてもいいのかもしれません。

後ろめたさを、
きれいになくさなくてもいい。

ただ、
減らしたあとにも残るその感覚の中に、
何を軽く扱いたくなかったのかが、
うっすら見えてくることがあります。

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