一日が終わるころになると、
できなかったことばかりが浮かんでくることがあります。
あれをちゃんと返せなかった。
もう少し落ち着いて言えたかもしれない。
あそこは、流さずに見てあげたかった。
今日も回ったはずなのに、
なぜか「足りなかった感じ」だけが残ることがあります。
大きく崩れたわけではない。
それなりに過ごせた日だったはずなのに、
ひとつ引っかかったことが、
その日の全部みたいに思えてしまうことがあります。
うまくできたことが、なかったわけではないのに。
実際には、止まらずに回してきたのに。
でも、目に残るのはいつも、
できたことより、できていないことのほうだったりします。
それは、気にしすぎだから、ではないのだと思います。
足りないところに目が向くのは、
どこかでずっと、
崩さないようにしてきたからかもしれません。
抜けがないように。
困ることが起きないように。
あとで後悔しないように。
なるべくちゃんとしていられるように。
そうやって日々を回していると、
自然と目は、
「何が足りていないか」を探すほうへ向いていきます。
失敗しないために。
見落とさないために。
守るべきものを守るために。
その視線は、
自分を責めるためだけに生まれたものではなかったのだと思います。
むしろ、回すためだったのかもしれません。
守るためだったのかもしれません。
何も起こらないように、先に気づくための目でもあったのだと思います。
だからきっと、
その目はこれまで、役に立ってきたのだと思います。
小さな違和感に気づけること。
まだ表に出ていないほころびを見つけられること。
先回りして整えようとすること。
そういうことに助けられてきた場面も、
ほんとうは少なくなかったのだと思います。
足りないところに目が向く理由
ただ、その目が強く働きつづけると、
今度は、できたことのほうが残りにくくなっていきます。
今日も何とか回したこと。
あの場面で踏みとどまったこと。
ちゃんと終わらせたこと。
何もなかったように見える一日の中で、
実はたくさんしてきたこと。
そういうものが、
自分の中に置かれないまま過ぎていくことがあります。
残るのは、
うまくできなかったひと場面だけ。
気になった言い方だけ。
もっとできたかもしれない、という感覚だけ。
それが続くと、
一日を受け取ること自体が難しくなっていきます。
できていないところを見つける目は、
本来は、何かを守るためのものだったはずなのに、
いつのまにか、
自分の一日を 「足りなかった」で終わらせる目 にもなっていく。
そういうことが、あるのだと思います。
だからといって、
急に見方を変えられるわけではないし、
できたことを数えよう、という話でもありません。
ただ、
できていないところばかり見えてしまうとき、
それは自分がだめだからでも、
怠けているからでもなくて、
そういう目で見続けてきたからなのかもしれない。
そんなふうに、
ほんの少しだけ外側から眺められる瞬間があると、
苦しさの形が、少しだけ変わることがあります。
「私は、できていないところばかり探してしまう」
というより、
「そうしないと、守れないと思ってきたのかもしれない」
そのくらいのところで、
今日は止めておいてもいいのかもしれません。

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