誰かにお願いしようかと思ったあとで、
結局、自分でやることがあります。
少し手伝ってもらえたら助かるはずなのに、
気づけばもう、自分の手が動いている。
頼めないわけではないし、
お願いする相手がいないわけでもない。
それでも、
「自分でやったほうが早いから」
そう思って、自分で引き受けることがあります。
実際、
説明する時間を考えると、
そのほうが早いこともあります。
どこにあるのか、
どうしてほしいのか、
どこまで終わったらいいのか。
ひとつずつ伝えるより、
自分でやってしまったほうが早く終わる。
そう感じることがあります。
「早い」の中に混ざっているもの
でも、
「早い」の中には、
それだけではないものが混ざっていることもあります。
お願いしたあと、
ちゃんと伝わっただろうかと気になる。
思っていた形と少し違ったとき、
どう伝えればいいのか迷う。
気になり始めると、
任せたはずなのに、
頭のどこかがそのことから離れなくなることがあります。
それなら、
最初から自分でやったほうが落ち着く。
そんなふうに感じることもあります。
期待したあとで、
少し違ったと感じること。
そのことを言葉にする気まずさ。
任せたのに結局気になってしまう自分への疲れ。
そうしたものを考えると、
自分で持っていたほうが楽に思えることがあります。
「自分でやったほうが早い」という言葉は、効率だけを指しているわけではないのかもしれません。
早く終わらせたいという気持ちだけではなく、
気を配り続けなくて済むこと。
説明し続けなくて済むこと。
気まずさを抱えなくて済むこと。
そんな安心に近いものも、
その中に含まれていることがあります。
周りから見ると、
抱え込みすぎているように見えることもあるかもしれません。
けれど、
自分で持つほうが楽だった時間もあったのだと思います。
自分で確認したほうが安心できたこと。
自分でやるほうが物事が進んだこと。
そうした積み重ねの中で、
自然と選ぶようになった方法なのかもしれません。
だから、
また自分でやってしまったとしても、
それをすぐに性格の問題だけで説明しなくてもいいのだと思います。
「自分でやったほうが早い」
そう口にするとき、
その中には、
早さだけではない理由が隠れていることがあります。
安心したい気持ちなのかもしれない。
気まずさを避けたい気持ちなのかもしれない。
あるいは、
気にし続ける負担を減らしたい気持ちなのかもしれません。
何が混ざっているのかは、
そのときによって違うのだと思います。
ただ、
「早いから」
そのひと言の奥にも、
いろいろな気持ちが重なっていることがある。
今回は、
そのことだけを、
ここに置いておこうと思います。

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