「気にしすぎなのかな」と思うとき

少し疲れたなと思って、
そのことを誰かに話したとき。

「みんな、そんなものだよ」

そう返されることがあります。

責められたわけではありません。

相手も、
少し気持ちが軽くなるように、
そう言ってくれたのかもしれません。

それでも、

みんながそうなら、
これくらいは普通なのかもしれない。

自分が気にしすぎているだけなのかもしれない。

そんなふうに、
さっきまで感じていた疲れが、
よく分からなくなることがあります。

何かに少し引っかかったときも、
似たようなことがあります。

自分では、
どこかしっくりこないと感じていた。

けれど、

「それくらい、気にしなくてもいいんじゃない?」

と言われると、

そうなのかもしれないと思う。

気にするほどのことではなかったのかもしれない。

自分の受け取り方のほうが、
少し違っていたのかもしれない。

誰かの感じ方に触れたあとで、
自分が最初にどう感じていたのかが、
少し曖昧になることがあります。

反対に、

周りから、
大変そうだねと言われても、
自分ではそれほど苦しく感じていないこともあります。

心配されて初めて、
これは大変なことなのだろうかと思う。

平気だと思っていた自分のほうが、
何かを見落としているように感じることもあります。

同じことを前にしていても、
感じ方は同じではありません。

しんどいと感じる人もいる。

それほど気にならない人もいる。

昨日は平気だったことが、
今日は少し重たく感じられることもある。

同じ人の中でも感じ方が違うように、
自分と誰かのあいだにも、
少しずつ違いがあります。

自分だけが違うように思えたとき

頭では、
人によって違うと分かっている。

それでも、

自分だけが違うように思えたとき、
自分の感覚が急に頼りなく見えることがあります。

みんなが平気なら、
自分も平気なはずなのではないか。

誰も気にしていないなら、
気にしている自分のほうが違うのではないか。

周りの感じ方を知るうちに、
自分の中にあった感覚よりも、
そちらのほうが確かなもののように見えてくることがあります。

誰かの言葉によって、
見え方が変わることもあります。

気づかなかったことに気づいたり、
ひとつの見方にとらわれていたと分かったりすることもあります。

だから、

周りと違っても気にしなくていい、
と簡単に分けられるものでもないのかもしれません。

誰かの感じ方と、
自分の感じ方。

どちらかひとつだけで、
そのときのことを決められないこともあります。

ただ、

誰かの言葉を聞く前に、
自分では少ししんどいと感じていた。

ほんの少し、
引っかかっていた。

その感覚が、
自分の中にあったことも確かなのかもしれません。

みんなは、
どう感じているのだろう。

そう思うことがあります。

その答えを知ったあとで、

では、
私はどう感じていたのだろう。

そんな小さな問いが、
自分の中に残ることがあります。

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