子どもの「どうして?」が分からないとき

「パンが食べたい」と言われて、
子どもにパンを渡したとき。

受け取ると思っていたのに、
「これじゃない」と押し返されることがあります。

このパンではなかったのだろうか。

もう一度聞いても、
子どもは泣いていて、
どうしてほしかったのか分からない。

パンが食べたいと言っていたから、
渡したのに。

子どもの反応が分からず、
戸惑うことがあります。

別のパンを見せても、
首を横に振る。

いったん戻そうとすると、
それも嫌だと泣いてしまう。

どうしてほしいのだろう。

やりとりを重ねるうちに、
こちらも困ってしまいます。

子どもが何を感じているのか、
分かりたい気持ちはある。

それでも、
何をしても違うと言われると、
次にどうしたらいいのか、
分からなくなることがあります。

大人の側では、
「パンが食べたいと言ったから、パンを渡した」
というやりとり。

けれど、
子どもが思っていたことは、
その言葉だけでは、
伝わりきっていなかったのかもしれません。

違うパンを、
思い浮かべていたのかもしれない。

自分で選んで、
取りたかったのかもしれない。

欲しかったものが違ったのか。
受け取るまでの何かが違ったのか。

目に見えるやりとりだけでは、
分からないことがあります。

「同じこと」に見えても

これまで子どもたちと関わってきた中でも、
渡されたものをいったん戻し、
自分の手で取り直す姿を見ることがあります。

同じものを手にしていても、
受け取ったときと、
自分で取ったときでは、
反応が違うことがある。

自分で取りたかったのか、
ほかに気になったことがあったのか。

その姿だけで、
気持ちを言い切ることはできません。

ただ、
こちらが「同じこと」と思っていても、
子どもにとっては、
同じではないのかもしれない。

そう感じることがあります。

思いがけない反応には、
目の前の出来事だけでは見えないものが、
関わっていることもあります。

そのときの気持ちや、
眠さや疲れなど、
いくつものことが重なっているのかもしれません。

けれど、
何が関わっていたのかを考えても、
はっきりしないことがあります。

尋ねても、
返事がないことがあります。

言葉が返ってきても、
それだけでは、
よく分からないこともあります。

何が違ったのか分からないまま、
いつの間にか、
子どもが別のことを始めている。

あとから思い返しても、
あのときどうしてほしかったのか、
分からないままのこともある。

子どもの側に何かがあったとしても、
その場で困った自分の気持ちまで、
なくなるわけではありません。

言われたとおりにしたのに、
と思ったことも。

何度も聞き直すうちに、
声が大きくなったことも。

そのときは、
自分にも余裕がなかった。

ほかにも、
進めなければならないことがあった。

「どうして?」の答えが、
いつも見つかるとは限りません。

分からないまま残る、
子どもの反応もあります。

それでも、
こちらは言葉のとおりにしたつもりでも、
子どもが思っていたこととは、
どこか違っていたのかもしれない。

いつもなら受け取っていたパンも、
そのときの眠さや気持ちによって、
違って感じられたのかもしれない。

あのとき、
自分は確かに困っていた。

そして、
子どもにも、
こちらからは見えていなかった何かが、
あったのかもしれない。

どちらか一方だけでは、
あの場面を言い表せないような気がします。