ひとつを優先すると、
別のひとつが気になってしまうことがあります。
子どもの話をちゃんと聞きたいと思っていても、
頭のどこかでは、まだ片づいていない台所のことが引っかかっている。
家のことを先に済ませれば少し落ち着く気もするのに、
今度は、急かすように過ごしてしまったことが気になってくる。
少し休みたいと思って座っても、
そのあいだにできたはずのことを思い浮かべてしまって、
休んだ感じがしないまま立ち上がることもあります。
全部は無理だと、頭では分かっている。
時間にも、気力にも、限りがあることは知っている。
それでも、どこも軽く扱いたくないと思うのは、
どれも自分の中で大事なものだからなのだと思います。
子どものことも、
家のことも、
仕事のことも、
自分のことも。
本当は、どれかひとつだけを大事にしたいわけではない。
できるなら、どこにもちゃんと手をかけていたい。
置いていくような形にはしたくない。
だから、どこかをゆるめようとすると、
ただ手を抜くような感じでは済まないことがあります。
ここを少し後回しにしたら、
何かを見捨てることになる気がする。
今日はここまでにしようと思っても、
その「ここまで」に、どこか後ろめたさが残る。
削ることそのものよりも、
削ったことで、自分が何か大事なものに背を向けたように感じる。
苦しいのは、その感じなのかもしれません。
全部を守ろうとすると苦しくなる。
でも、守りきれないからといって、すぐに割り切れるわけでもない。
手が届かなかった日にも
手が回らなかった日、
それは本当に、そこを大事にしていなかったということなのか。
気にかけていても、
間に合わない日はある。
大切に思っていても、
同じようにはできない日がある。
そのことを、頭では分かっていても、
気持ちのほうはなかなか追いつきません。
全部持っていたいのに、
その日の自分に持てる分しか持てない。
そういう現実にぶつかるたびに、
足りなかったところばかりが目に残ることがあります。
でも、手が届かなかったことと、
大事に思っていないことは、
同じではないのかもしれません。
うまくできなかった日にも、
気にかけていたものは、ほんとうは消えていない。
その日に十分に守れなかったとしても、
大事にしたい気持ちまでなくなったわけではない。
ただ、全部を同じ形では持てなかった。
そういう日があっただけなのかもしれません。
もちろん、そう思えたからといって、
すぐに楽になるわけではないし、
後ろめたさが消えるわけでもないと思います。
全部を守れないことに慣れたいわけでもないし、
平気になりたいわけでもない。
やっぱりどこかで、
できるならちゃんと持っていたいと思う気持ちは残るはずです。
それでも、全部守れない日があることを、
すぐに失敗と呼ばなくてもいいのかもしれない。
そんなふうに、
少しだけ見え方が変わることがあるのかもしれません。

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