疲れている理由を、
うまく説明できない日があります。
何があったのかと聞かれても、
「これ」と言えるものが見つからない。
ただ一日が終わっただけなのに、
心と体だけが、重く残っている。
家にいただけ。
子どもと過ごしていただけ。
特別なことは、何もなかったはず。
それなのに、
どっと疲れていて、
心の中だけが、ずっとざわついている。
「何がそんなにしんどいの?」
そう聞かれて、
初めて、
自分でも答えに詰まってしまうことがあります。
理由がはっきりしない疲れ。
説明しようとすると、
かえって自分が大げさに感じてしまう感覚。
だから、
何も言わずに飲み込んでしまう。
でもその疲れは、
気のせいでも、甘えでもなくて、
ただ言葉にしにくい形をしているだけなのかもしれません。
なぜ、ひとつにまとめられないのか
たぶん、この疲れは、
「これをやったから」「これがあったから」
と、ひとつにまとめられるものではありません。
いくつもの小さな気がかりや、
終わっていない感覚が、
一日のあちこちに散らばっていて、
それをひとつずつ説明しようとすると、
かえって言葉が足りなくなってしまう。
だから、
うまく話せない。
うまく伝えられない。
その一つひとつは、
外から見ると、
「そんなに大変なこと」には見えないことが多い。
子どもの様子を気にすること。
次の予定を頭の中で組み立てること。
あとで必要になりそうなものを、
なんとなく覚えておくこと。
眠そうなのにうまく寝付けなくて、
いつもより少し長く抱っこしていた時間。
作ったごはんを前に、
なかなか食べ進まず、
掴んでは落ちるたびに拾っていたこと。
どれも、
「これをやった」と言えるほどの出来事ではなくて、
目に見える作業として残るものでもありません。
だからこそ、
「何をしていたの?」と聞かれると、
自分でも、
うまく答えられなくなってしまう。
そうして、その疲れは、
誰かに話されることもないまま、
自分の中に留まり続けて、
外に出る前に、
少しずつ形を失っていきます。
説明できないままだから、
誰かに理解される前に、
「たいしたことじゃないのかもしれない」
と、自分で引っ込めてしまう。
本当は、
ひとつではない理由がそこにあるのに、
それを数えたり、示したりできないまま、
「うまく言えない疲れ」として残ってしまう。
そうして残った感覚だけを前に、
どうしてもしんどさの理由が見えなくて、
結果的に、
「私が弱いのかな」
「要領がよくないのかな」
と、
自分のほうを疑ってしまうことがあります。
理解してもらえない、というよりも、
どこから話せばいいのか分からない。
そんな感覚に近いのかもしれません。
そして、
言葉にできないままの疲れは、
見えないまま少しずつ溜まっていきます。
結果が目に見えるわけでもなく、
何も進んでいないように感じたり、
できていないことばかりが目について、
自分だけが取り残されているように思えてしまうこともある。
でも、
見えないからといって、
存在していないわけではありません。
言葉にならない負担も、確かにそこにあるもの。
そしてそれは、
ひとつひとつは小さくても、
気づかないうちに、
人を疲れさせる力を持っています。
だからもし、
「どうしてこんなに疲れているのか分からない」
そう感じる日があったとしても、
それは、
理由がないのではなくて、
ひとつにまとめられないだけなのかもしれません。
見えにくいだけで、
そこには、ちゃんと重なっているものがあるのだと思います。

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