「余裕がないな」
そう感じてしまう瞬間が、
いつのまにか、日常の一部になっている。
朝からずっと何かに追われている気がして、
やることは一応こなしているのに、
心のどこかが、ずっと落ち着かない。
周りはちゃんとできているように見えるのに、
どうして自分だけ、こんなに余裕がないんだろう、
と、ふと思ってしまう。
いつもと比べて、
特別に眠れていないわけでもないし、
何か大きな出来事があったわけでもない。
それなのに、
少しのことでイライラしてしまったり、
思っていたより、ずっと疲れていたりする。
そんなとき、
「私の段取りが悪いのかな」
「要領がよくないのかな」
と、つい自分の能力のせいにしてしまうことがあります。
「余裕がない」は、どこから来ているんだろう
でも、
本当にそれは、
その人の要領や、性格や、努力の問題なのでしょうか。
同じように一日を過ごしているように見えても、
背負っているものや、気を張っている場所は、
人それぞれ違います。
それなのに、
「余裕がない」という感覚だけを、
自分の内側の問題として引き受けてしまうことが、
とても多いように感じます。
たとえば、
一日中、気を張り続けていること。
頭の片隅で、ずっと段取りを考えていること。
誰かの様子を気にして、先回りして動いていること。
そういうものは、
外からはあまり見えません。
でも、積み重なると、
確実に心と体を疲れさせていきます。
それでも、
そういう疲れは、
「ちゃんと休めていないから」
「気の持ちようの問題だから」
と、片づけられてしまうことも少なくありません。
そしていつのまにか、
「余裕がないのは、自分のせいだ」
という考えが、
心の中に残るようになります。
そもそも、
気を抜いていい時間が、
一日の中にほとんどない状態が続いていたら、
余裕がなくなるのは、当たり前なのかもしれません。
子どもが小さい頃は、
「今は何もしていない時間」もあるはずなのに、
頭のどこかで、ずっと何かを気にしている。
ちゃんと眠れているか。
泣いていないか。
次に必要なものは何だったか。
完全に気を抜いていい、
という感覚を持てる時間は、
思っているより、ずっと少なかったように思います。
それでも、
そういう状態にいるときほど、
「私のやり方が悪いのかな」
「もっと要領よくできればいいのに」
と、原因を自分の中に探してしまいがちです。
環境や状況の話よりも先に、
自分の能力の問題として引き受けてしまう。
そのほうが、説明がつくような気がしてしまうからかもしれません。
そうやって、
自分の中に原因を探し続けていると、
「もっと頑張らなきゃ」
「まだ足りないんだ」
という気持ちだけが、
少しずつ積み重なっていきます。
本当は、
もう十分に抱えているはずなのに、
自分にはまだ余力がある前提で、
さらに自分を動かそうとしてしまう。
余裕がない、という状態は、
その人の弱さや、能力の問題ではなくて、
ずっと気を張り続けなければいけない環境の中にいる、
というサインなのかもしれません。
それを、
「もっと頑張らなきゃ」
「私が足りないんだ」
と、自分の内側の問題にしてしまうほど、
余裕は、ますます削られていってしまいます。
そんなときは、
「もっと上手にやる方法」を探す代わりに、
今、自分がどんな状態に置かれているのかを、
少しだけ外側から見てみると、
何かが違って見えてくるのかもしれません。
それだけでも、
「余裕がない自分」に向ける言葉は、
少しずつ、変わっていくのだと思います。

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