少しだけ力を抜いたら、
何かが崩れてしまう気がすることがあります。
たとえば、
今日は夕食を簡単なもので済ませようと思ったとき。
寝かしつけのあと、そのまま何もせず横になってしまったとき。
「まあ、今日はこれでいいか」と口に出してみた瞬間。
ほんの小さなことなのに、
どこかで、胸の奥がざわつく。
一度ゆるめたら、もう戻れない。
今日さぼったら、積み上げてきたものが失われる。
そんな感覚が、どこかにある。
だから、続ける。
揺れないように。乱れないように。
今の形を保つように。
けれどそのとき、
本当は何を守ろうとしているのでしょう。
安心。
周囲からの信頼。
子どもへの愛情。
責任を果たしているという感覚。
それらは、どれも大切なものです。
だからこそ、少しでも緩めたら失う気がしてしまう。
でも。
安心は、本当に「整っていること」の上にしか成り立たないのでしょうか。
信頼は、一度揺れたら戻らないものなのでしょうか。
愛情は、休まずに動き続けることでしか伝わらないのでしょうか。
すぐに答えは出ません。
怖さも、消えません。
ただ、これまでに見てきた中で思うのは、
少し力を抜いたときに
真っ先に揺らぐのは、
信頼でも、愛情でもなく、
「ちゃんとしているという感覚」
であることが多い、ということです。
周りとの関係は、
思っているほど、すぐに壊れてしまうものではありません。
失われるのは、何なのか
子どもが受け取っているものも、
一日の出来不出来だけで、すべてが消えてしまうわけではありません。
けれど、自分の中の
「私はやれている」という支えは、
意外とあっさり揺らぐ。
だから怖いのかもしれません。
失うかもしれないと思っていたものは、
外側の何かというよりも、
自分の中の確かさだったのではないか、と
立ち止まることがあります。
もしそうだとしたら。
手放すことは、
何かを壊すことではなく、
「私はこれでもいいのかもしれない」と
一瞬でも揺れること。
その揺れの中でも、
守ろうとしてきた思いは、消えていない。
安心を願う気持ちも、
愛情も、責任も、
形は少し変わることがあっても、
完全に消えてしまうものではないのだと思います。
何が失われないのか。
それは、
あなたが思っているよりも、
ずっと根の深いところにあるものです

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