今日はこれでいい、と思えない夜に

夜、やっと一日が終わったあと。

子どもは眠って、
部屋も静かになったのに、
なぜか気持ちだけが落ち着かない。

やり残したことが、
ひとつ、またひとつと浮かんでくる。

洗濯物。
明日の準備。
さっきの自分の言い方。
もっと優しくできたかもしれない場面。

「今日はこれでよかったのかな」

そんな問いが、
静かな部屋の中で、
小さく繰り返されることがあります。

本当は、
朝からずっと動いていた。

目に見える家事だけではなく、
先回りして考えること。
気にかけ続けること。
小さな変化に反応すること。

スイッチは、
ほとんど切れないまま。

それでも、
一日の終わりに残るのは、
“できたこと”より
“足りなかったこと”のほうだったりします。

基準を下げればいい。

どこかで聞いたことがある言葉です。

でも、
それができないから、
苦しくなる。

なぜなら、
その基準は、
突然生まれたものではないから。

ちゃんとしていれば安心できる。
抜けがなければ、あとから後悔しにくい。
笑っていれば、場が荒れにくい。

そうやって、
日々をなんとか回すために、
少しずつ積み上げてきた基準。

それは、
自分を追い込むためのものというより、
守るための工夫でもありました。

だから、
簡単には下げられない。

それに、
母親という役割は、
正解が見えにくいものでもあります。

点数はつかないのに、
責任だけははっきりしている。

誰かが評価してくれるわけでもないのに、
自分で自分を採点してしまう。

「これで十分」と
言い切れる材料が少ないからこそ、
基準は、
知らないうちに高いまま固定されていきます。

採点しない日

同じ基準のままでは、
きつい日もあります。

体が重い日。
理由のない疲れが残っている日。
気持ちがうまく切り替わらない日。

でも、
きついと分かっても、
すぐに基準を変えられるわけではない。

「それでもいい」とは、
なかなか思えない。

もしかすると、

“基準を下げる”というよりも、

今日はその基準を、
これ以上見直さない日、
なのかもしれません。

足りなかったかどうか、
正しかったかどうか、
今日はもう採点しない。

できなかったことは、
そのまま残っていてもいい。

納得できなくても、
まだ気になるままでもいい。

今日という一日は、
もうここまで来ています。

何も整っていなくても、
何も解決していなくても、

それでも、
通り抜けてきた時間だけは、
確かにある。

今日は、そこまでにする。

それ以上は、もう足さなくていい。

この一日を、
静かに閉じるだけで、
十分なのかもしれません。

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